2008年10月10日
志の輔 アゲイン
9/23・落語の解釈で取り上げました志の輔といえば、
清水義範の短編小説「バールのようなもの」からとった同名の新作落語があります。
「・・・のようなもの」と聞くと、噺に明るい方はすぐに三代目金馬得意の演目「居酒屋」を思い浮かべられる方が多いことでしょうが、私は筋立てから「やかん」や「浮世根問(うきよねどい)」を思い起こしました。
(「えー、出来ますものはツユ、ハシラ、鱈昆布(たらこぶ)、あんこうのようなもの、鰤(ぶり)にお芋に酢蛸でございます、へえーい」という、居酒屋・小僧の独特の声・節回しが懐かしく思い出されます。)
どちらも落語常連の登場人物、八五郎が一度へこましてやろうと物の由来を次から次に尋ねるのに、物知りをもってする隠居が様々にこじつけ・辻褄合わせをして言いくるめるという噺です。
志の輔の新作は、
泥棒が入り、扉などをこじ開けた痕を、ニュースなどで「バールのようなもの」を使って侵入し・・・といった表現をする理由(わけ)を問い質す八五郎役が、
鬼のような顔というが鬼ではない、女々(めめ)しい男を女のようなと言って女ではない、
何々のようなというのは、何々ではないことなんだと隠居役に言いくるめられ、うちに帰ってしくじります。
隠している女のことを女房に問い詰められ、つい「あの女は何でもない。妾のようなもの」と言ってしまいます。
もちろん、「・・・のようなもの」は「・・・」ではないと、つまり妾ではないと言いたかったのに、女房の怒りに油を注ぐ大事に至ってしまい、始終を聞いた隠居役に、「それは一番言ってはいけなかった“・・・のようなもの”だ」ととどめを刺される噺です。
小朝ほど江戸前に洗練されてない志の輔が演ってこその、将に当たり役といえる遣り取りだと思います。
清水義範の短編小説「バールのようなもの」からとった同名の新作落語があります。
「・・・のようなもの」と聞くと、噺に明るい方はすぐに三代目金馬得意の演目「居酒屋」を思い浮かべられる方が多いことでしょうが、私は筋立てから「やかん」や「浮世根問(うきよねどい)」を思い起こしました。
(「えー、出来ますものはツユ、ハシラ、鱈昆布(たらこぶ)、あんこうのようなもの、鰤(ぶり)にお芋に酢蛸でございます、へえーい」という、居酒屋・小僧の独特の声・節回しが懐かしく思い出されます。)
どちらも落語常連の登場人物、八五郎が一度へこましてやろうと物の由来を次から次に尋ねるのに、物知りをもってする隠居が様々にこじつけ・辻褄合わせをして言いくるめるという噺です。
志の輔の新作は、
泥棒が入り、扉などをこじ開けた痕を、ニュースなどで「バールのようなもの」を使って侵入し・・・といった表現をする理由(わけ)を問い質す八五郎役が、
鬼のような顔というが鬼ではない、女々(めめ)しい男を女のようなと言って女ではない、
何々のようなというのは、何々ではないことなんだと隠居役に言いくるめられ、うちに帰ってしくじります。
隠している女のことを女房に問い詰められ、つい「あの女は何でもない。妾のようなもの」と言ってしまいます。
もちろん、「・・・のようなもの」は「・・・」ではないと、つまり妾ではないと言いたかったのに、女房の怒りに油を注ぐ大事に至ってしまい、始終を聞いた隠居役に、「それは一番言ってはいけなかった“・・・のようなもの”だ」ととどめを刺される噺です。
小朝ほど江戸前に洗練されてない志の輔が演ってこその、将に当たり役といえる遣り取りだと思います。
Posted by 微笑みの貴公子 at 15:59│Comments(0)
│お笑い