2010年03月02日
チャンバラトリオ

西日本新聞2010.2.27夕
チャンバラトリオの結成を呼びかけたのも、最年長の南方だったのに、山根伸介がリーダーで、南方は「かしら」と呼ばれていたのは、健康上の理由だったそうです。
南方が自作する特製の“ハリセン”ではたく(たたく) “お仕置き”の芸を考案、トレードマークとして人気を博しました。
1976年には、 「第11回上方漫才大賞」大賞、「第5回上方お笑い大賞」金賞、「第11回NHK上方漫才コンテスト」優秀賞を受賞と、一時は高い評価を受けています。
メンバーは南方をはじめ、東映時代劇の「斬られ役」出身なだけに殺陣は本格的、ネタも衣装も本格時代物なのに、でもなぜかしら髷(マゲ、のかつら)を付けなかったのは、舞台中にかつらが取れて笑いを獲る“定番”をあえて嫌ったからでしょうか。
北野映画にも出演するなど、俳優としても活躍していたようですが、「チャンバラトリオ」は面白く見ていましたが、その方面には興味がない私は近頃の動向を全く知りませんでした。
趣味に「酒」とあるのは、死因の肝硬変とはぴったり符合します。
1月11日の京橋花月(大阪)が最後の舞台だったそうです。
