2010年03月22日
2010年03月19日
2010年03月18日
圓生杯争奪戦
落語界で今もちきりの話題は、七代目圓生名跡争奪戦で、昨日3/17、浅草・東洋館で満員のお客を集め落語会が開催されました。
六代目の惣領弟子・圓楽が、鳳楽に七代目として圓生を継がせたいと言いつつ亡くなったことが、楽太郎の圓楽襲名に続く既定路線のように圓楽一門で動き始めたため、圓生の直弟子・圓丈らの反発を呼んだ結果です。
話題集めの“シャレ”だととの見方も一部ではされているようで、そちらの狙いであれば大成功だったということになります。
次は夏ごろなどと、1回で終らせない雰囲気なのもヤラセの臭いがしないこともありません。
鳳楽が七代目圓生にふさわしいかどうか私には判断がつきかねますが、あの新作・破天荒の圓丈が七代目圓生というのには、相当の無理があるような気がしますが。
2010年03月17日
福岡パルコ
永いお別れで、大いなる眠りについていた、旧岩田屋本館がいよいよ19日に目覚め、「福岡パルコ」が開業するはこびとなり、内覧会が行われたそうです。
西日本新聞2010.3.17
この旧岩田屋本館が閉店したのが2004年2月だそうですから、もう丸6年一時期の福岡の一等地に位置しながら“灯の消えた”姿を晒していたことになります。
以後、幾つかの曲折を経、一抹の不安を拭い去って現実に開館するわけですが、景気低迷の折、目論見どおりの集客ができるのかどうか、勝負のスタートとなります。
2010年03月16日
ハウステンボスの再生はなるのか
HIS(highest International Standerds)支援による再生がスタートしたハウステンボス。
入場者その他、経営状況に好転の兆しは見えているんでしょうか。
HISの前の支援企業、野村プリンシパル・ファイナンスの再生経営はどのようにして失敗に終ったのか、“残された教訓”として紙上に連載されるようです。
西日本新聞2010.3.16
今回の支援、想定外の出費超となれば即撤退可能な条件付という点は、立場が立場とはいえHTB側としては大変気になるところでしょう。
2010年03月15日
素魚・白魚
室見川の素魚(シロウオ)について、「おどり」より「吸い物」にこそ季節の香りがあるという話しです。
西日本新聞2010.3.15
薄田泣菫の随筆「白魚」に書かれている“白魚”が、「シラウオ」なのか「シロウオ」なのか判断がつきかねるとありますが、“白魚”とあるからには「シラウオ」に決まっているでしょう。
だって、シロウオは「素魚」と書くんですから、今のように日本語は乱れてはいず、とくに詩人・随筆家の薄田泣菫であればなおさら、きちんと認識しているはずです。
この記事“風車”の書き手・竹若丸とやらはそんなことも知らないのでしょうか。
素魚は、博多ばかりでなく各地で漁があるそうですが、これは、三重県での素魚漁だそうです。
記事中、「・・・シロウオなら水で生かして運ぶこともできるし、・・・」とありますが、シロウオなら運べて、シラウオならなぜ運べないのかの説明がなされてなく、説得力にも乏しい文章です。
2010年03月14日
史上最大のキャスト
先日TVでまたまた「地上最大の作戦」の放映があり、これまたしっかり録画して細切れに見かえしている私です。
とても一気に通してみてしまえるほどの時間がありません。
タイトルバックを見て、あらためて、登場する俳優(ここでいうのは知っている、あるいはよく知っている)の多さに気づかされました。
ざっと挙げても、
ジョン・ウェイン、ロバート・ミッチャム、ヘンリー・フォンダ、ロバート・ライアン、
ロッド・スタイガー、ジェフリー・ハンター、ロバート・ワグナー、ポール・アンカ、
フェビアン トミー・サンズ、ジョージ・シーガル、スチュアート・ホイットマン、
スティーブ・フォレスト、トム・トライオン 、レイ・ダントン 、リチャード・ベイマー 、
サル・ミネオ、レッド・バトンズ、エドモンド・オブライエン、ロディ・マクドウォール、
エディ・アルバート、アレクサンダー・ノックス、メル・ファーラー、ピーター・
ローフォード、リチャード・トッド、リチャード・バートン、ケネス・モア ケネス・モア、
ショーン・コネリー 、レオ・ゲン、イリナ・デミック、アルレッティ 、ブールヴィル、
ジャン・ルイ・バロー、クリスチャン・マルカン
などなどです。
また、よほど注意してみてないと、演じている役柄と俳優の名がすぐには結びつきません。
露出が最も多いと思われるジョン。ウェインをのぞき、一番印象に残るのは、ラスト間近のせいもあり、足に負傷して軍医を待っているリチャード・バートンでしょうか。
2010年03月13日
一支国博物館
本人がどの程度かかわったかは分かりませんが、黒川紀章設計と称される「一支国博物館」が長崎・壱岐市に明日開館ということです。
西日本新聞2010.3.13
数日に渡って西日本新聞に特集記事が゙載せられ、TVでも紹介されていましたが、写真などで見るかぎりでは「吉野ヶ里」とバッティングしそうな展示内容に思えてなりません。
もっとも、こちらは屋外に実物大の古代住居などが並ぶ吉野ヶ里と違って、室内での展示ですから、また雰囲気は違うものなんでしょう。
2010年03月12日
ブルートレインホテル
熊本県・多良木町に寝台客車を利用した宿泊施設が、鹿児島・阿久根市に続き誕生の予定だそうです。
西日本新聞2010.3.11
ブルートレインと呼ばれた“あさかぜ”などの当初の車輌はベッド幅52CM・3段という人口密度の高い寝台車だったわけですが、B寝台とかの区分ができてこのように2段・70CMだったんじゃないかと思います。
阿久根市の施設では宿泊客は、管理している民宿かなにかの風呂を利用するらしいですが、このような決して良いとはいえない環境で一夜を過ごすのも一興かもしれませんね。
車内放送で、列車の走行音をテープで流してもらったりしたらどうでしょう。
2010年03月11日
3月の雪
昨日の寒気はどうやら去ったようで、今日は何とか平年の気温に戻ったようです。
3月の初旬といえば、実は結構博多でも雪をみているようで、ん十年前私が大学受験した年も寒波が来てしまいました。
受験した大学は当時、試験場に使わない教室も、関係者以外のものからの隔離のためか、昼食時には一切立ち入ることができなくなっていました。
さらに校内には食堂などもなく(実際はあったのかもしれませんが、現在のような規模のものではなく、一堂に会した受験生が同時に利用できるようなものではなかったのかもしれません)、今では考えられないことですが、教室外の野天で各自持参の弁当を食べる慣わし?となっていました。
ところがその年は、今年のような戻り寒気で、雪が降り出しました。
雪のふりかけご飯を食べるのも憚られ、当時の交通機関・路面電車で2駅離れた、当時からだが弱く、よく通っていた医院の存在を思い出し、そこの待合室で弁当を使わせてもらったことを思い出してしまいました。
2010年03月10日
冬へ逆戻り
西日本新聞2010.3.10夕
私も今日は天神に用事があり、ちょうどこの辺りを10時40分頃と、11時40分頃に往復しましたが、幸いこの写真ほどの雪には遭わず助かりました。
でも、風も強く何しろ寒いので、早く地下街の入り口にたどり着きたい思いでした。
西日本新聞2010.3.8
これは先の7日に行われた「曲水の宴」の模様ですが、伝える記事中には「肌寒い曇り空のもと」とあり、優雅に和歌を読むのは大変だなと思ったばかりでしたが、それでも今日のような天気でなかったのは僥倖だったのかもしれません。
2010年03月09日
SL人吉
今年も「SL人吉」が先週末から運行を始めました。
西日本新聞2010.0.7
機関車がすでに大変なロートルですから、いつ運行が停止されるか分かりません。
そうならないうちに今年あたり、ぜひ一度乗車してみたいと思っていますが、乗車券の予約・入手は?
初日は当然のように「満席だった」とありますが、ゴールデンウイーク・夏休みを外せばOKなんでしょうか。
2010年03月08日
高層マンション
回遊魚を集めて住み着かせるための“漁礁”だそうです。
西日本新聞2010.3.6
鉄骨で組みあがった巨大なオブジェ、手前の人物・車がなければスケール感が分かりません。
工場・基地などのプラントそのものですが、魚ってこんなところに集まってくるんですね、知りませんでした。
2010年03月07日
JR門司港駅
築100年を迎えようとしている門司港駅舎が、来年度から大規模修復工事を予定しているそうです。
西日本新聞2010.3.6
この修復には15億円以上の費用がかかり、一旦仮駅舎で業務は対応しながらの大規模工事となるため、完了まで7年を要するということです。
営業しながら現地での建て替え、福岡・子供病院が現地建て替えではなく、様々な束縛を離れ、人工島に新築移転したいという思惑も分からないではありません。
2010年03月06日
トヨタ か トヨダ か
創業家の社長が復活したとたんに天下の一大事となってしまった、リコール問題。
社長の言動もさまざまなところで取り上げられています。
週刊文春2010.3.11
※この記事、タイトルが“・・・3つの「思い違い」”となっていますが、文中この「3つ」がすぐ分かるようには記述されていません。
この記事のように、論点の数を示して指定したにも拘らず、どれがその1であり、2・3であるのか分かりづらい文によく出会いますが、気の短い私は本当にイライラしてしまいます。
皆さんは「中島」さんをなんと呼びますか?
「なかじま」、「なかしま」どちらでしょう。
博多の人は「なかしま」と、濁らないほうが多いんではないでしょうか。
でも一般的には「なかじま」のほうが多いですよね。
中嶋悟は「ナカジマサトル」ですし、カツオも「おーぃ、ナカジマ」と呼んでいます。
一般には(標準語ということでもないんでしょうが東京中心に考えると)このような場合、濁るのが普通のようです。
ここにもあるとおり、トヨタの起こり・豊田も「とよだ」だそうですから、勢力図どおりです。
ここに一つだけ?例外があります。
若宮町と合併して宮若市になった宮田町は、「みやだ」が正しいのに、なぜか他所出身者には「みやた」といわれていました。
ここにトヨタが来て、トヨタ自動車九州と、ますます「みやた」は勢力を伸ばしていました。
どうしてここだけは濁らずに「た」なのかを考えると、昔(現在もあるのかもしれませんが)「宮田(ミヤタ)自転車」というのがあり、この読みの普及から宮田だけは「ミヤタ」だったのかもしれません。
2010年03月05日
小倉・旦過市場
博多屋台にも較べられ、北九州・小倉で全国的にも有名な旦過市場の再開発計画が、取り沙汰されているようです。
西日本新聞2010.3.4
紙上の写真を見ますと、先日火災を起こし、その裏側の顔がクローズアップされた博多・川端商店街の旧来の木造家屋と較べても、さらに“戦後のバラック”に近い裏の顔を見せています。
表の顔は上の写真のとおり人通りも多く、賑わっているのでしょう。
「小倉の台所」といわれる食の街ですから、やや趣は違うでしょうが、博多・屋台に似て、「安全」と「文化」の位置づけが論議を呼ぶところでもあるでしょう。
市場で商売をしている人にしてみれば、現在の形態で恙なく暮らしていけてるところを、新たな投資をして商店が綺麗になったところで、見合った売上増が見込めるわけもなし、借入金返済のための値上げもやむなく、かえって客離れ・売上減を招く懸念が捨てきれないことでしょう。
極端にいうと博多・屋台と同様、小奇麗さの対局、“雑多”な魅力が捨てがたいところという点もあるでしょう。
でも一方では、家屋が河川を占拠しており、水害対策の遅れなどによる被害も出ているようで、このまま手をこまねいているわけにもいかない事態となっているようです。
2010年03月04日
動物注意の看板
高速道路に入り込んだキツネを避けようとして事故を起こし、後続の車に追突されて死亡した被害者の両親が日本道路公団(現・東日本高速道路)の管理責任を問い、損害賠償を求めた裁判で、最高裁はその責任を否定したそうです。
一審・地裁では管理責任なし、二審・高裁は責任ありの判決だったそうで、原告の逆転敗訴となりました。
西日本新聞2010.3.3
二審の判決によりますと、「01年にキツネがはねられ死ぬケースは死亡事故時点(01年10月8日)で46件報告され、頻繁に出没すること自体、安全性を欠いている」ということだったそうで、なるほど月に4・5件、つまり週1件程度起こっている計算であり、これはちょっと尋常ではないとも思われます。
かといって、キツネの侵入防止策には多大な費用が掛かることでしょうし、現実問題として「注意看板」頼りにならざるをえない事情も判る気がします。
キツネ程度の小動物であれば、可哀相ですが、車の凹みなどの被害には眼をつぶって急ハンドル操作などはしないことを心がけねばいけませんね。
それにしても、後続車の運転手は2,600万円の賠償命令が確定しているということで、第二の被害者だともいえます。
目の前でパニクった想定外の行動をされたがために、とんだ災難です。
車間距離云々など、事故の後には必ずしたり顔に言い立てられる言葉ですが、このような事故の場合十分な車間距離をとっていても、なすすべがないことは十分に考えられますから。
2010年03月03日
復旧が急がれます
復旧の様子が連日紙上に報じられています、博多・川端商店街の朝火事。
出火原因についてはまだ特定されていないようですが、人的被害のなかったのが不幸中の幸いというところでしょうか。
西日本新聞20103.1夕
西日本新聞20103.2
アーケードから眺める商店街の店構えは、新天町のそれと大きな違いがありませんが、建物そのものから一体化されたそれとは違い、表側だけ化粧された顔を見せる古い木造家屋の造りだったことが、この裏側からの現場写真でよく分かります。
Google map による出火前の町並みです。
2010年03月02日
チャンバラトリオ
近頃はとんとTVなどへの露出がなく、名前を聞くだけで懐かしく思い出されていた“チャンバラトリオ”の「頭(かしら)」・南方英二が先日亡くなりました。
西日本新聞2010.2.27夕
チャンバラトリオの結成を呼びかけたのも、最年長の南方だったのに、山根伸介がリーダーで、南方は「かしら」と呼ばれていたのは、健康上の理由だったそうです。
南方が自作する特製の“ハリセン”ではたく(たたく) “お仕置き”の芸を考案、トレードマークとして人気を博しました。
1976年には、 「第11回上方漫才大賞」大賞、「第5回上方お笑い大賞」金賞、「第11回NHK上方漫才コンテスト」優秀賞を受賞と、一時は高い評価を受けています。
メンバーは南方をはじめ、東映時代劇の「斬られ役」出身なだけに殺陣は本格的、ネタも衣装も本格時代物なのに、でもなぜかしら髷(マゲ、のかつら)を付けなかったのは、舞台中にかつらが取れて笑いを獲る“定番”をあえて嫌ったからでしょうか。
北野映画にも出演するなど、俳優としても活躍していたようですが、「チャンバラトリオ」は面白く見ていましたが、その方面には興味がない私は近頃の動向を全く知りませんでした。
趣味に「酒」とあるのは、死因の肝硬変とはぴったり符合します。
1月11日の京橋花月(大阪)が最後の舞台だったそうです。
西日本新聞2010.2.27夕
チャンバラトリオの結成を呼びかけたのも、最年長の南方だったのに、山根伸介がリーダーで、南方は「かしら」と呼ばれていたのは、健康上の理由だったそうです。
南方が自作する特製の“ハリセン”ではたく(たたく) “お仕置き”の芸を考案、トレードマークとして人気を博しました。
1976年には、 「第11回上方漫才大賞」大賞、「第5回上方お笑い大賞」金賞、「第11回NHK上方漫才コンテスト」優秀賞を受賞と、一時は高い評価を受けています。
メンバーは南方をはじめ、東映時代劇の「斬られ役」出身なだけに殺陣は本格的、ネタも衣装も本格時代物なのに、でもなぜかしら髷(マゲ、のかつら)を付けなかったのは、舞台中にかつらが取れて笑いを獲る“定番”をあえて嫌ったからでしょうか。
北野映画にも出演するなど、俳優としても活躍していたようですが、「チャンバラトリオ」は面白く見ていましたが、その方面には興味がない私は近頃の動向を全く知りませんでした。
趣味に「酒」とあるのは、死因の肝硬変とはぴったり符合します。
1月11日の京橋花月(大阪)が最後の舞台だったそうです。
2010年03月01日
風林火山
転倒してボブスレーの“そり”をかぶり、頭・背中で滑走していますが、首の骨など大丈夫でしょうか。
西日本新聞2010.2.28
転倒が続出したという“魔の第13カーブ(数字からして縁起が悪い)”を逆さまになって疾走する男子4人乗り日本チームの“そり”です。
着物美人でカラーリング金メダルの日本女子チームの“そり”の華やかさに較べ、この男子チームの“くすみ”ようはどうでしょう。
もともとあまりスマートさが感じられないボブスレーの“そり”に、“族”紛いの疾如風(速きこと風の如く)。
始祖の北畠顕家より武田信玄のほうで有名な“風林火山”の一節が日の丸?とともにペイントされています。
中途半端に戦争を知っている私などには、その鉛色の基色に白く“教科書体”で記した文字など、まるでゼロ戦の雰囲気です。
転倒・玉砕も厭わない“特攻精神”とでもいったらいいんでしょうか。