広告嫌い

微笑みの貴公子

2007年11月04日 23:50

週刊新潮に連載されていたコラム「人間自身」2007/2/22号で、故・池田晶子は、世間の広告について述べていました。


池田晶子は、「専門知識や用語に頼ることなく、日常の言葉によって、“哲学するとはどういうことか”を語ることで、多くの読者を集めた」というふうに言われていた人です。


池田晶子によりますと、「CF(コマーシャルフィルム)というヤツの存在に耐えられないから、民放はまったく見ない」ということですが、私たちは(少なくとも私は)、そうもいかないのが辛いところです。


CFそのものよりも、その配信タイミングにもっと腹が立ちます。


クライマックスを引張りに引張って、CF明けには、CF前の尻尾の部分を重複放映し続ける、品性など要求する方が無理なんでしょうが、まさにあざと過ぎるやり方です。


近頃は、さらにあざとい二乗で、惹句・CF・ごく短時間惹句の続き、に続いて再びCF・そしてやっと本編という流れがワイドショーなどでは主流を成しつつあります。


また、録画の頭出しをしていると、ランダムにスタートすると大げさじゃなく、3回に1回はCFが出ませんか?


確率でいうと、1/3回CFということは、1時間中20分CFということですよ。


まさか、こんなにCFは入っていないでしょうから、被害者意識が強すぎる結果の感覚なんでしょうが。

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