M-1グランプリ常連・“笑い飯”の評価が上がっているようです。
西日本新聞2010.1.25夕
笑い飯が紳助から満点を得たという昨年のM-1の漫才は、録画して保存してはいるものの、まだ実際には見ていない私は、それがどんなものなのか分かりませんので、上の論については個人的になんとも言えません。
ただ、オーネット・コールマンの「フリージャズ」により巻き起こった“ジャズという音楽の定義についての果てしない論争”を思い浮かべました。
このジャズにおける“新しいもの”については、賛否が下の2論で分かります。
アルバート・マリー(作家)
「フリージャズといってもジャズよりフリーなものとは一体なんでしょう。
ジャズを語ることは即興演奏の自由を語ること、アメリカの自由を語ることです。
それをさらに自由にすることにどんな意味があるんでしょう。
全ての芸術は必ず一定の形式をそなえるもので、それがなくなればただの混乱と無秩序におちいります。
ジャズもそうです。
ジャズの自由とは形式がないということではありません。
ただ好き勝手にやればいいというものでもありません。
それではまるで海の中に入って全ての波をかかえ込むようなものです。
無秩序をかかえ込むこと、混乱をかかえ込むことなど誰にもできません。
チャーリー・ヘイデン(オーネット・コールマンのベーシスト)
本当にすぐれたミュージシャンとは枠にとらわれないミュージシャンのことだと信じています。
例えば、コールマン・ホーキンスやセロニア・スモンクやバド・パウエルの即興演奏を聴くと、彼らはある一線を越えたところにたっていたのがわかります。
とても自由に、とても深く、そして自分の命をかけたレベルで演奏していたんです。
私たちもそれをやりました。戦いの最前線にいるのと同じです。
大切なのは危険を恐れないこと、自分がやっていることのために命をささげられること、喜んで命をささげたいと思うことです。
ジャズにおいては、改革中には神のように崇められたコルトレーンやマイルスが、現在に至って聴き直す盤といえば、ハードバップ、精々モード期のものばかりという推移を見ますと、前者の論をとらざるを得ません。
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