2008年10月16日
黒ダイヤのころ
今月はじめ、西日本新聞(10/6夕刊)に、炭砿の歴史・記録が研究者によりHP化されるという記事が載りましたが、我家も親が炭砿勤務者で、昭和初期と思われる水彩スケッチが出てきました。
(拡大した画像の右下にマウスを当て、のマークをクリック、画面を最大表示にしてしてご覧下さい)
当時のヒエラルキーからいうと、下層の生活を強いられていたと思われる選炭婦のユニフォーム姿、なんと今のスッチー然としているじゃありませんか。
有名な田川の2本煙突じゃありませんが、ここの煙突も相当高そうです。
遠景・山の上建物は、志免の竪坑櫓に似た形をしていますが、この頃はまだ竪坑というのはないので、単なる巻き上げ機の機械室でしょう。
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当時のヒエラルキーからいうと、下層の生活を強いられていたと思われる選炭婦のユニフォーム姿、なんと今のスッチー然としているじゃありませんか。
有名な田川の2本煙突じゃありませんが、ここの煙突も相当高そうです。
遠景・山の上建物は、志免の竪坑櫓に似た形をしていますが、この頃はまだ竪坑というのはないので、単なる巻き上げ機の機械室でしょう。
Posted by 微笑みの貴公子 at 09:09│Comments(0)
│暮らし