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2007年12月08日

来年の手帳を買うのはもう遅いのか?

手帳の高橋12月に入ったらすぐに、歳暮・忘年会・年賀状とか、考えるだけは早くから心に留めていたのに、いざこの時期になって、そのうち準備できたものがまだなく、少々焦りを覚えているところです。


この4・5年デザインが気に入って使い続けている、“高橋”の手帳(ニューダイアリ№8)を丸善で購入しました。


高橋では毎年、思わず手帳にメモしたくなった「身近な人の名言・格言」を募集していますが、昨年・一昨年の入選作を次にご紹介してみましょう。


手帳大賞  


Posted by 微笑みの貴公子 at 09:01Comments(0)暮らし

2007年12月07日

流行語大賞

出席受賞者今年の「ユーキャン新語・流行語大賞」がきまり、3日表彰式が行われたと各紙が報じていました。-12/4紙上-


流行語大賞といえば、1999年の大賞「ブッチホン」を覚えておられる方はいらっしゃるでしょうか。


1990年の流行語、G.ブッシュ大統領から海部首相への電話「ブッシュホン」をもじって、小渕首相が任期中に各界の著名人にかけた電話のことを指したものです。


この大賞受賞には、「広く大衆の目・口・耳をにぎわせた」とは言えないばかりでなく、マスコミ関係者ですら疑問を投げかける声があったそうですが、「ハニカミ王子」はともかく、ただ方言を面白おかしく取り上げただけの「どげんかせんといかん」などよりはずっと洒落た造語で、大賞に値すると思いますが。


また最近は、お笑い芸人は、パイレーツ・ダンディ坂野・テツandトモなどに代表されるように、新語・流行語大賞に選出されると翌年人気が急落するというジンクスがあって、昨年お笑い芸人はすべて受賞を拒否したそうですが、今年受賞の、小島よしおはまさにその轍を踏む可能性が危惧されます。


お笑いに限らず、流行語大賞として表彰された語句そのものも、ほぼ翌年には使われなくなる傾向があって、「流行語大賞の翌年は死語大賞」とも言われます。


また、「大食い」にいたっては、ナンシー関存命の頃こそ選ばれて然るべき語句でなかったかと思いますが。  


Posted by 微笑みの貴公子 at 09:01Comments(0)ニュース

2007年12月06日

来年のル・マン24h

東海大・林義正教授12/5付毎日新聞夕刊には、来年6月のル・マン24時間レースに、東海大学が、林義正・工学部教授の研究室を中心に開発した車での参戦を申請する旨の記事が掲載されています。


ル・マンといえば、かっては、コースの片側に競技車を配置し、ドライバーはコースの反対側から駆け寄って乗車するスタート方式がその象徴で、ル・マン式スタートと呼ばれたものでした。


インディアナポリス500の、「ゼントルメン、スタートユアエンジン」の合図、優勝者のシャンペンファイトならぬミルク飲みとともに有名ですよね。


1955年のル・マンでは、他車と接触してコントロールを失ったメルセデスが宙を舞い、分解炎上したエンジン・サスペンションなどがそのままの勢いで観客席に飛び込み、観客・スタッフ含めてなんと80人以上が死亡するという大事故が起っています。


なお、このレースは事故後も続行されました。


「たとえどんな惨事が起きようとも、戦い続けるのがスポーツのルールである」事が続行の理由であった他、レースを中断すると帰路についた観客がサーキットの周りや周辺道路を塞ぎ救急車が動けなくなる、といった事態を防ぐための主催者側の判断によるものだったそうです。


もっとも、事故を起こしたメルセデスはチーム全マシンを呼び戻して棄権し、その後ル・マンのみならず30数年間モータースポーツから遠ざかりました。


さて、東海大の林義正教授、生れは東京ですが、戦中佐賀・小城に疎開し、そのまま九州大学航空工学科を卒業していますのでここ博多とも縁の深い人なのです。


※ 現在、ル・マン式スタートは安全対策のため廃止され、女性ドライバーの参戦をみて、インディ500のコールは、「レディスアンドゼントルメン・・・」に変えられています。  


Posted by 微笑みの貴公子 at 09:01Comments(0)モータースポーツ

2007年12月05日

LDはどうなった

唇の特徴のない井川遥知り合いに、井川遥を懐かしんでいる人がいます。


この人は偶々デヴュー当時の彼女をWEB上の画像で見知って、その新鮮さに惹かれていたそうです。


その人にはパイオニアに勤める、その人に面相がとてもよく似た従甥がいます(従甥本人の言)。


2001年その家庭にお邪魔したとき、彼のミーハー度を知る従甥に、近頃お気に入りのアイドルは?と訊かれて、今度NHKフランス語講座にアシスタント登場する井川遥と答えていたそうです。


近頃はデヴュー当時の、唇の厚さ(ふくよかさと言うべきか、ある意味アンバランスな)を押える方向に振って、ステレオタイプな容貌に近づけるメイクにやや不満があったり、もはやマニアックな域を出た彼女の人気によって、その人の心のアルバムからは消えていました。


その井川遥が06年11月、ファッションデザイナーでパイオニア創業者一族の松本与(あとう)と結婚したことを知り、それからとうに一年以上経った今、なぜかこの従甥に、そのときのことの記憶があるかどうか、訊いてみたくなったと話していました。


パイオニアつながりに妙な因縁を感じているとか。  


Posted by 微笑みの貴公子 at 09:01Comments(0)エンタメ

2007年12月04日

水郷・柳川 こたつ舟

こたつ舟水郷・柳川では、例年どおり12/1より恒例の「こたつ舟」の運航が始まり、当日各紙夕刊に写真入でその模様が報道されました。


記事


今年は、例年にない少雨の影響で11月に入ってから掘割の水位が下がり、通常の4キロコースは一部通行が不可能で、コース変更を余儀なくされているそうです。


こたつ舟といえば、昨年は、西日本新聞と毎日新聞がスタート日12/1の夕刊に、“同じ舟”をスタート間際、ゴール間近と、それぞれ違う時間に撮った写真を掲載したことがありました。


微笑みの貴公子メルマガ06年12月(上)


今年の2紙は同じ舟ではありませんが、どうやらどちらも、毎日新聞記事にある三重県の高校の修学旅行生のようです。  


Posted by 微笑みの貴公子 at 09:02Comments(0)ニュース

2007年12月03日

筋書き通りのドラマ・福岡国際マラソン

インタヴューを受けるワンジルこのレースはペースメーカー(以下、pm)がつくレースとなりましたが、通常の外国人ばかりではペースにばらつきが出るのを危惧して、九州一周駅伝で3/4個の区間賞を取り、九州実業団駅伝でも区間賞を得て好調の安川電機・立石がpmに加わったそうです。


この立石のpm振りが先ず感激ものでした。


1km3分の設定タイムをキッチリ守りきり、他の外国人pm3人をリードしきりました。


ただし、さすがにこのペースを30kmまで押し切る力はなく、10kmでその役目を終えましたが、その後の外国人pmもあまりタイムをばらつかせなかったことに貢献したようです。


昨日、立石に対する心配を書きましたが、10kmまでだったということで納得しました。


レースそのものはある意味、実力どおり・予想どおりといえるもので、優勝タイムの2時間6分39秒は、1km3分を押していくと、2時間6分35秒であることから見ても、いかに30kmまでpmがワンジル・メルガ・佐藤をいいリズムに乗せたかがうかがえます。


初マラソンのワンジル、2時間13分台の記録しかないメルガをフルマラソンのペースに乗せきり、ハーフ日本記録保持者の佐藤を自己新の次元に引上げました。


残念ながら、6分台の記録を持つ高岡・藤田に往時の勢いはありませんでした。


昨日、ワンジル優勝の場合トラック勝負はない、と書きましたが、そのとおり、長浜通りから明治通りへ向けて左折する際一気にスパート、次に明治通りを右折するまでの短い直線で引き離し、メルガの視界から消える時間を有効に使い、追走のきっかけと気力を上手くそいだように見えました。


ワンジルはさすがに給水には慣れていない様子で、前半集団で走っているとき、何度も他の選手から手渡してもらったりしていましたが、スパートして平和台競技場にかかる坂の手前、最後の3台のゼネラルテーブルではことごとく失敗しました。


ここで水を取れなかったことに、見ていてチョット心配しましたが、ここでは苦笑気味に手を拍ってすぐに走りを切替えました。


振り返れば、日本人の粒は揃ったといえテルガトの欠場で、外国人にはタイムにおいても有力者はいず、ワンジルにとっては与しやすいマラソンだったといえるかもしれません。


現役時代とはうって変って、調子のよい、軽い(ある意味、実のない、みんな頑張れ調の)瀬古の解説をいつもどおりと聴いていましたが、今日はちょっと違って、炯眼(けいがん)に驚かされることが起りました。


14km過ぎで高岡が遅れる前、汗のかき方が心配だと中継車の谷口に訊き、30km付近で藤田が遅れ始める前には、肩の揺れ方を指摘したのです。


11/28に広告きらいを載せたばかりですが、このマラソン中継でもその影響は大でした。ただし、別の意味で。


実はこの放映、録画で観ざるを得なかったのですが、CMにくると早送りができ、今回は、CM中にドラマが起っていたといった、よくありがちなシチュエーションもなかったため、スタートからゴールまでかなり時間を節約して観終わることが出来たという余禄を得ました。


日本の男子マラソンは、持ちタイムの差が出にくい環境の試合においても最早、銅メダル争いがやっとという状況におかれています。


トラック上がりのニューフェイスの台頭がなければ一層のジリ貧状態を迎えます。  


Posted by 微笑みの貴公子 at 09:01Comments(0)スポーツ

2007年12月02日

福岡国際マラソンはどうなるでしょう

サムエル・ワンジル12/2の福岡国際マラソンで、フルマラソンに初挑戦する、トレードマークの“スキッ歯”が見えない、トヨタ自動車九州のサムエル・ワンジルです。


かのハイレ・ゲブラセラシェに破られた、ハーフマラソン世界記録を本年2度にわたって抜き返し、ハーフ・58分33秒の記録を引っさげての挑戦です。


30日の会見記事によりますと、40KM走は2度しか行ってないとあり、35KM過ぎのスタミナが未知数な不安と、持ち前のスピードに対する期待と、相半ばする出走となります。


でも、トラックに並走して入ってきたら、相手が高岡であれ、藤田であれワンジルに勝ちはないでしょう。


というのも、2005年九州一周駅伝に4/4区間新・区間賞で鮮烈デビューした新聞に、400m走では、三津谷などトヨタ自動車九州の日本人選手の後塵を拝すると、森下監督が述べていましたから。


ワンジル自身インタビューで、「30kmで元気なかったら皆と一緒に行く」と言っていましたが、間違っても並走はなく、潰れるか快勝、どちらかしかありえないと思いますが。  


Posted by 微笑みの貴公子 at 09:30Comments(0)スポーツ

2007年12月02日

イオンシャワー、無料お試し“発表”

イオンシャワー
おめでとうございます。下記の方が当選されました。
北海道・今村様新潟県・八島様
東京都・権藤様山梨県・松村様
愛知県・山近様広島県・入江様
山口県・尾嶋様福岡県・九鬼様
福岡県・高木様宮崎県・甲斐様

たくさんのご応募ほんとうにありがとうございます。
残念ながら抽選に外れられた方、次の募集をお見逃しなく。
  


Posted by 微笑みの貴公子 at 09:01Comments(0)洗顔石鹸について

2007年12月01日

フランスから電話で呼ばれた救急車、脳梗塞・オシム監督

通訳がいないと困るでゴンス病状が気がかりなオシム監督ですが、脳梗塞で倒れた際同居していた、監督・夫人・長男3人とも日本語を話せないそうです。


長男のアマルはフランスに住む日本人の友人に助けを求め、その日本人はさらに日本の知人に連絡しその手配でやっと救急車の到着となったそうです。


オシムがジーコにとって代る前、相撲審議委員の内館牧子が週刊朝日連載「暖簾にひじ鉄」に、外国人力士に較べて、他のスポーツ関係者(外国人)が日本語を満足に話せない不思議さを書いていました。


いわく、ジーコ監督なんてずいぶん昔から日本にいるのにすべて通訳を通さないとだめ。

一方、外国人力士はおしなべて日本語が非常に上手い。


「おしなべて」という意味において、サッカーやプロ野球選手とは比較にならない。


相撲界では通訳は一切つけないし、新弟子として入門した日から、日本語だけの生活になる。


ロシア出身の露鵬も日本語がペラペラだが、彼は私に言ったことがある。
「日本語がわからないと相撲が強くなれませんから」


その国で仕事をする以上、その国の言葉を覚え、その国の文化を学ぶのは、当然のことだろう。
それをしないで、臆面もなくずっと通訳をつける神経って、どういう太さなのだろう、と。


相撲の新弟子と、競技指導者とを同じ土俵に置くわけにはいきませんが、厚く処遇されるべき人であれ、言葉をとおして仕事場の国に溶け込むことも必要じゃないのかと考えさせられました。


異国で病に倒れる心細さは同情するにあまりありますが、ふと、「不遜」という言葉まで思い浮かんでしまいました。  


Posted by 微笑みの貴公子 at 09:01Comments(2)スポーツ