2007年11月15日
仏様
地元福岡に大いに係わりのある、稲尾和久さんが亡くなりました。
おそらく、「ブログふくおか・よかよか」にもたくさんのコメントが並ぶことだろうと思います。
語りつくされている1958年の、巨人との日本シリーズでは、私の知り合いである昔の少年のエピソードを思い出さずにはいられません。
彼は当時高校3年生で、大学受験勉強の大事な時期でした。
そんな大事な時期であることを知りながら、親戚の叔父さんの一人が、彼が巨人ファンであることも知っていて、平和台での第4戦の入場券をくれました。
見に行くかどうか迷ったそうですが、それまで巨人が3連勝していて、その試合で優勝が決るかもしれないという思いは絶ちがたく、平和台へ出かけたそうです。
結果はご存知のとおりで、その後も彼にとっては悪夢の連続、おまけに翌年の大学受験にまで失敗してしまいました。
負け試合だったためか、その試合のことは稲尾の姿はおろか、長嶋も誰も、何も覚えていないそうです。
彼の昔の野球の記憶といえば、それよりも前、中学生の頃下関球場に別当薫の阪神戦を見に行って、下関駅から母親と人力車に乗った思い出がもっとも鮮明なものだそうです。
若き日の四大スター
おそらく、「ブログふくおか・よかよか」にもたくさんのコメントが並ぶことだろうと思います。
語りつくされている1958年の、巨人との日本シリーズでは、私の知り合いである昔の少年のエピソードを思い出さずにはいられません。
彼は当時高校3年生で、大学受験勉強の大事な時期でした。
そんな大事な時期であることを知りながら、親戚の叔父さんの一人が、彼が巨人ファンであることも知っていて、平和台での第4戦の入場券をくれました。
見に行くかどうか迷ったそうですが、それまで巨人が3連勝していて、その試合で優勝が決るかもしれないという思いは絶ちがたく、平和台へ出かけたそうです。
結果はご存知のとおりで、その後も彼にとっては悪夢の連続、おまけに翌年の大学受験にまで失敗してしまいました。
負け試合だったためか、その試合のことは稲尾の姿はおろか、長嶋も誰も、何も覚えていないそうです。
彼の昔の野球の記憶といえば、それよりも前、中学生の頃下関球場に別当薫の阪神戦を見に行って、下関駅から母親と人力車に乗った思い出がもっとも鮮明なものだそうです。
若き日の四大スター