2007年09月13日
誤用だ! 御用だ!(2007/09/11)解説編
-- 黒字部分、括弧内の誤りを正す --
「そもそもの発端」は「元旦の夜」のテレビ番組だった。某アナウンサーが、ある地方の元日の儀式を評して「古式豊か」と「聞いた風な」ことをいったのだ。日本語の乱れはここまで進んでいるのかと、思わず「眉をしかめた」。
そもそもの発端、は各家庭ごとと同じく重複語、元旦は元日の朝のこと、古式は床しく、利いた風、眉はひそめる、でなければなりません。
以来、我々は「喧々諤々」の議論を重ね、本書の執筆を開始した。世間は、ちょうどバブル経済が崩壊して、「濡れ手で泡」の「悪どい」方法で金儲けをした連中が次々に夜逃げした頃。執筆を終えたのは、貴花田と宮沢りえの婚約が「明るみになり」「抱擁力」という言葉が週刊誌をにぎわせていた時だった。
喧々は、囂囂、諤々と対になるのは侃々で、侃々諤々、濡れ手で粟のあくどい(悪どいは当て字、あ・くどいと分解される語なので悪は使えない)、明るみに出て、包容力が正しい。
本書には我々の「秀知が集め」られている。日本語の本だからといって、けっして「肩苦しく」はない。「嫌が上にも」好評を博し、「あわや」ベストセラーということになるかもしれない。
衆知を集め、堅苦しくはなく、弥が上にも。
あわやとは、何か望ましくないことが起る寸前の心理状態を表すもので、ここでは相応しくない。
我々はそういう「一抹の望み」を持っている。しかし、夢が実現したからといって「有頂点」になるつもりはない。そのことは「肝に命じて」いる。本書を面白く読んでいただければ「法外の喜び」である。
一縷の望み、有頂天、望外の喜び、肝に銘じる、がそれぞれ正しい用法だそうです。
「そもそもの発端」は「元旦の夜」のテレビ番組だった。某アナウンサーが、ある地方の元日の儀式を評して「古式豊か」と「聞いた風な」ことをいったのだ。日本語の乱れはここまで進んでいるのかと、思わず「眉をしかめた」。
そもそもの発端、は各家庭ごとと同じく重複語、元旦は元日の朝のこと、古式は床しく、利いた風、眉はひそめる、でなければなりません。
以来、我々は「喧々諤々」の議論を重ね、本書の執筆を開始した。世間は、ちょうどバブル経済が崩壊して、「濡れ手で泡」の「悪どい」方法で金儲けをした連中が次々に夜逃げした頃。執筆を終えたのは、貴花田と宮沢りえの婚約が「明るみになり」「抱擁力」という言葉が週刊誌をにぎわせていた時だった。
喧々は、囂囂、諤々と対になるのは侃々で、侃々諤々、濡れ手で粟のあくどい(悪どいは当て字、あ・くどいと分解される語なので悪は使えない)、明るみに出て、包容力が正しい。
本書には我々の「秀知が集め」られている。日本語の本だからといって、けっして「肩苦しく」はない。「嫌が上にも」好評を博し、「あわや」ベストセラーということになるかもしれない。
衆知を集め、堅苦しくはなく、弥が上にも。
あわやとは、何か望ましくないことが起る寸前の心理状態を表すもので、ここでは相応しくない。
我々はそういう「一抹の望み」を持っている。しかし、夢が実現したからといって「有頂点」になるつもりはない。そのことは「肝に命じて」いる。本書を面白く読んでいただければ「法外の喜び」である。
一縷の望み、有頂天、望外の喜び、肝に銘じる、がそれぞれ正しい用法だそうです。
2007年09月12日
この紋所が目に入らぬか
元NHKアナウンサーの杉山邦博氏が、相撲協会・北の湖理事長の意思として取材証の返還を求められ、「預けましょう」と言って返したということです。
杉山さんといえば、毎場所東砂被りで観戦する姿がTVに映し出されていました。
一度、博多・中洲のスナックで隣り合わせになり(面識のないまま)、交互にカラオケを唄ったことがあって、こちらが一方的に親しみを感じ、TV画面をとおして一種の安堵を覚えるといった位置づけの人でした。
この暴挙には当然、ジャーナリズム側からの一斉反発を受け、安倍総理より早く辞意を表明しておけば良かったと、高砂親方をうらめしく思っている北の湖理事長ではないでしょうか。
杉山さんといえば、毎場所東砂被りで観戦する姿がTVに映し出されていました。
一度、博多・中洲のスナックで隣り合わせになり(面識のないまま)、交互にカラオケを唄ったことがあって、こちらが一方的に親しみを感じ、TV画面をとおして一種の安堵を覚えるといった位置づけの人でした。
この暴挙には当然、ジャーナリズム側からの一斉反発を受け、安倍総理より早く辞意を表明しておけば良かったと、高砂親方をうらめしく思っている北の湖理事長ではないでしょうか。
2007年09月12日
アメフットって面白いの?
近頃サッカーの中継がない日は、見るべきもののなかった深夜BSでNFLが放映され、2夜ほど見てみましたが面白くないですね。
というと、ファンの方から叱られることでしょうが、面白くないものは面白くないんです。
まず競技方法というか流れが面白くないもの。
パス攻撃はサッカーのオフサイドをいわば容認するようなものであり、ランはダウンボール(とは言わないのでしょうが、とにかく倒れたら)でプレーは中断され、サッカー・ラグビーの連続プレーが見られないのがまず不満。
攻守の決まりどおりにプレーするのに我慢できるのは、さすが野球好きなアメリカの面目躍如です。
その上にTVの編集が私を苛立たせます。現在フィールドにいるプレーヤーの動きを追ってもらいたいのに、攻守の替り目などにはすかさず、興奮する観客、コーチ・選手の声を姿を現して伝えるコメンテーター、ずっと前のプレーのリプレー等の映像をフラッシュバックのように押付けられると競技を楽しむ気分を削がれること甚だしい。
スポーツを楽しんでいるのではなく、ただ単に(狂喜ではなく)「狂気」に浸りきっている観客。
流れのあるラグビーのほうがが数倍面白く楽しめます。
今日はワールドカップ日本戦中継があったんじゃ・・・。
というと、ファンの方から叱られることでしょうが、面白くないものは面白くないんです。
まず競技方法というか流れが面白くないもの。
パス攻撃はサッカーのオフサイドをいわば容認するようなものであり、ランはダウンボール(とは言わないのでしょうが、とにかく倒れたら)でプレーは中断され、サッカー・ラグビーの連続プレーが見られないのがまず不満。
攻守の決まりどおりにプレーするのに我慢できるのは、さすが野球好きなアメリカの面目躍如です。
その上にTVの編集が私を苛立たせます。現在フィールドにいるプレーヤーの動きを追ってもらいたいのに、攻守の替り目などにはすかさず、興奮する観客、コーチ・選手の声を姿を現して伝えるコメンテーター、ずっと前のプレーのリプレー等の映像をフラッシュバックのように押付けられると競技を楽しむ気分を削がれること甚だしい。
スポーツを楽しんでいるのではなく、ただ単に(狂喜ではなく)「狂気」に浸りきっている観客。
流れのあるラグビーのほうがが数倍面白く楽しめます。
今日はワールドカップ日本戦中継があったんじゃ・・・。
2007年09月11日
ダンシングアイボ
ソニーは、音楽に合わせて本体がダンスを踊るように動き回る音楽プレーヤー「ローリー」を29日に発売する。
聴くだけでなく見ても楽しい、新しいタイプの音楽プレーヤーで、実勢価格4万円前後だそうである。
根っからのバッパー(聴くのみの"er")の私は、スゥイングこそ命の輩で、マッチ箱(ずいぶん古い)をテーブルに打付け、貧乏揺すりもどきに脚を踏み首を傾けて楽調にあわせるが、はたして音源が踊りだしたらどうなんだろうか。
それは楽しいのか?
少なくともミュージシャンの姿を脳内スクリーンに映し出したい向きにはこんなもの、邪魔者でしかないと思うが。
聴くだけでなく見ても楽しい、新しいタイプの音楽プレーヤーで、実勢価格4万円前後だそうである。
根っからのバッパー(聴くのみの"er")の私は、スゥイングこそ命の輩で、マッチ箱(ずいぶん古い)をテーブルに打付け、貧乏揺すりもどきに脚を踏み首を傾けて楽調にあわせるが、はたして音源が踊りだしたらどうなんだろうか。
それは楽しいのか?
少なくともミュージシャンの姿を脳内スクリーンに映し出したい向きにはこんなもの、邪魔者でしかないと思うが。
2007年09月11日
1時間に1分すすむ時計は・・・
9/10、13:25クイズの答えです。
正解はもちろん、15時3分ではありませんよ。
正解は、12時3分です。だって、1時間に1分しか進まない(動かない)のですから、3時間経っても3分しか動きません。
正解はもちろん、15時3分ではありませんよ。
正解は、12時3分です。だって、1時間に1分しか進まない(動かない)のですから、3時間経っても3分しか動きません。
2007年09月11日
誤用だ! 御用だ!
先の「国語世論調査」に関連して、ずいぶん昔出版された「誤用の日本語がズバリ!わかる本」の中から。
--「そもそもの発端」は「元旦の夜」のテレビ番組だった。
某アナウンサーが、ある地方の元日の儀式を評して「古式豊か」と「聞いた風な」ことをいったのだ。
日本語の乱れはここまで進んでいるのかと、思わず「眉をしかめた」。
以来、我々は「喧々諤々」の議論を重ね、本書の執筆を開始した。
世間は、ちょうどバブル経済が崩壊して、「濡れ手で泡」の「悪どい」方法で金儲けをした連中が次々に夜逃げした頃。
執筆を終えたのは、貴花田と宮沢りえの婚約が「明るみになり」「抱擁力」という言葉が週刊誌をにぎわせていた時だった。
本書には我々の「秀知が集め」られている。
日本語の本だからといって、けっして「肩苦しく」はない。
「嫌が上にも」好評を博し、「あわや」ベストセラーということになるかもしれない。
我々はそういう「一抹の望み」を持っている。
しかし、夢が実現したからといって「有頂点」になるつもりはない。そのことは「肝に命じて」いる。
本書を面白く読んでいただければ「法外の喜び」である。--
上の文の「」中の語句でどこが誤っているのでしょう? どう直したらよいのでしょう。
--「そもそもの発端」は「元旦の夜」のテレビ番組だった。
某アナウンサーが、ある地方の元日の儀式を評して「古式豊か」と「聞いた風な」ことをいったのだ。
日本語の乱れはここまで進んでいるのかと、思わず「眉をしかめた」。
以来、我々は「喧々諤々」の議論を重ね、本書の執筆を開始した。
世間は、ちょうどバブル経済が崩壊して、「濡れ手で泡」の「悪どい」方法で金儲けをした連中が次々に夜逃げした頃。
執筆を終えたのは、貴花田と宮沢りえの婚約が「明るみになり」「抱擁力」という言葉が週刊誌をにぎわせていた時だった。
本書には我々の「秀知が集め」られている。
日本語の本だからといって、けっして「肩苦しく」はない。
「嫌が上にも」好評を博し、「あわや」ベストセラーということになるかもしれない。
我々はそういう「一抹の望み」を持っている。
しかし、夢が実現したからといって「有頂点」になるつもりはない。そのことは「肝に命じて」いる。
本書を面白く読んでいただければ「法外の喜び」である。--
上の文の「」中の語句でどこが誤っているのでしょう? どう直したらよいのでしょう。
2007年09月10日
今頃季節はずれですが・・・
「国語世論調査」の新聞記事を読みかえしていて、唐突にも慣用句と言えば・・・と、「やはり野におけ蓮華草」が頭をよぎりました。
「やはり野におけ蓮華草」とは言っても、それじゃ前の五文字は何ナノ? と言われてはたと詰まる、五・七・五の後ろ部分のみが一人歩きしている句ですよね。
滝野瓢水(ひょうすい)と云う俳人が、遊女を身請けしようとした知合いを諭した句であるとか、WEB上に十分情報が出回っていますので、興味ある方は検索してみてください。
「やはり野におけ蓮華草」とは言っても、それじゃ前の五文字は何ナノ? と言われてはたと詰まる、五・七・五の後ろ部分のみが一人歩きしている句ですよね。
滝野瓢水(ひょうすい)と云う俳人が、遊女を身請けしようとした知合いを諭した句であるとか、WEB上に十分情報が出回っていますので、興味ある方は検索してみてください。
2007年09月10日
2007年09月09日
どくだんば ってナニ?
06年度国語世論調査の結果が発表され、紙上に掲載されました。新聞記事
他人(ヒト)のことは言えませんが、確かにおかしな読みをする人が多くなりましたよね。
「独壇場(ドクダンジョウ)」(誤:ドクダンバ)
「大舞台(オオブタイ)」(誤:ダイブタイ、ソフトバンクとのプレーオフを制した日ハムのヒルマン監督の通訳が正しく発音したのにちょっとびっくりした記憶があります)
「一段落(いちだんらく)」(誤:ひとだんらく)等々。
「国語世論調査」で取りあげられている、「役不足」、「流れに棹差す」は間違いが多いものとしていつも例にあげられるようです。
他人(ヒト)のことは言えませんが、確かにおかしな読みをする人が多くなりましたよね。
「独壇場(ドクダンジョウ)」(誤:ドクダンバ)
「大舞台(オオブタイ)」(誤:ダイブタイ、ソフトバンクとのプレーオフを制した日ハムのヒルマン監督の通訳が正しく発音したのにちょっとびっくりした記憶があります)
「一段落(いちだんらく)」(誤:ひとだんらく)等々。
「国語世論調査」で取りあげられている、「役不足」、「流れに棹差す」は間違いが多いものとしていつも例にあげられるようです。
2007年09月08日
シェーンはどこから来たのか?
ラテ欄の「シェーン」が目にとまり、はたして映画「シェーン」をご覧になった方はどの位いらっしゃるのだろうと思いながら、「シェーン死亡説」を思い出したところです。 -倉本聡も-
死亡説とは、決闘を終えて去っていくシェーンは重傷を負っていて、ラストシーンでシェーンが死ぬことを暗示している、というもので、下の4点が根拠となっています。
1.決闘の撃ち合い中、シェーンが撃たれていること。
2.ジョーイの必死の叫びにまったく反応しなかったこと。
3.走り去ったシェーンの片手が力なく伸びていること。
4.ラストシーンでシェーンがいる場所が墓場であること。
これに対する反論としては、
1.撃たれていることは映画でも表現されていて、傷の重・軽の相違。
2.かたぎとの決別の強い意志の表れ。
3.手綱をとっていない腕に力を入れる必要はない(※ロデオでも片腕をダラリと下げた姿を見ます)。
4.墓場を通った?それがどうした。
とあります。皆さんはどちらだと思っていらっしゃるのでしょう。
ずいぶん昔の新聞書評に、「シェーンはどこから来たのか」という題名の本が取り上げられ、このタイトルに興味をもちましたが、この本はまだ見たこともありません。
死亡説とは、決闘を終えて去っていくシェーンは重傷を負っていて、ラストシーンでシェーンが死ぬことを暗示している、というもので、下の4点が根拠となっています。
1.決闘の撃ち合い中、シェーンが撃たれていること。
2.ジョーイの必死の叫びにまったく反応しなかったこと。
3.走り去ったシェーンの片手が力なく伸びていること。
4.ラストシーンでシェーンがいる場所が墓場であること。
これに対する反論としては、
1.撃たれていることは映画でも表現されていて、傷の重・軽の相違。
2.かたぎとの決別の強い意志の表れ。
3.手綱をとっていない腕に力を入れる必要はない(※ロデオでも片腕をダラリと下げた姿を見ます)。
4.墓場を通った?それがどうした。
とあります。皆さんはどちらだと思っていらっしゃるのでしょう。
ずいぶん昔の新聞書評に、「シェーンはどこから来たのか」という題名の本が取り上げられ、このタイトルに興味をもちましたが、この本はまだ見たこともありません。
2007年09月08日
2007年09月07日
ニキビに悩んでいませんか?
成人女性のニキビは、化粧が原因の場合が少なくないそうですよ。
大人のにきびに悩み
正しい化粧・洗顔の方法が大切なことはいうまでもありませんが、その際の基礎となる洗顔石鹸の選びかたがとっても重要です。
無添加・つっぱらない洗顔石鹸
大人のにきびに悩み
正しい化粧・洗顔の方法が大切なことはいうまでもありませんが、その際の基礎となる洗顔石鹸の選びかたがとっても重要です。
無添加・つっぱらない洗顔石鹸
2007年09月07日
ビールは飲めても水はとても・・・
ビールならジョッキで何杯ものめるのに(アルコールが駄目な人はこの際抜きにして)、水はそんなにたくさん飲めないのはどうしてでしょう?
水分は体内に入ると食道を通って胃に入る。そこでしばらく貯められたあと、少しずつ十二指腸を通って、小腸から大腸へと送られる。
その水分がビールだと、含まれているアルコールは吸収されやすく、胃からも腸からも吸収される。
アルコールが吸収されるときに水の分子も一緒に吸収されるので、あまり胃はふくれない。
これが水だけの場合は、胃ではほとんど吸収されない。腸まで入って始めて吸収されるため、非常に時間がかかる。
おまけに胃の中にずっと蓄えられるため、胃がふくれてしまう。
ビールが胃と腸のダブル吸収で、吸収速度も速いのに対して、水はなかなか吸収されないうえ、ビールには利尿効果もあるから、どんどん体内の水分が排出される。
だから、水よりもビールのほうがたくさん飲めるのだそうです。
水分は体内に入ると食道を通って胃に入る。そこでしばらく貯められたあと、少しずつ十二指腸を通って、小腸から大腸へと送られる。
その水分がビールだと、含まれているアルコールは吸収されやすく、胃からも腸からも吸収される。
アルコールが吸収されるときに水の分子も一緒に吸収されるので、あまり胃はふくれない。
これが水だけの場合は、胃ではほとんど吸収されない。腸まで入って始めて吸収されるため、非常に時間がかかる。
おまけに胃の中にずっと蓄えられるため、胃がふくれてしまう。
ビールが胃と腸のダブル吸収で、吸収速度も速いのに対して、水はなかなか吸収されないうえ、ビールには利尿効果もあるから、どんどん体内の水分が排出される。
だから、水よりもビールのほうがたくさん飲めるのだそうです。
2007年09月07日
かろのうろんや
今時の若いもんは、博多っ子でも博多がうどんの本場であることを知らないものが多い。
博多はうどん発祥の地
「うどん」として全国的に有名なのは、四国の讃岐うどん。
しかし、うどん発祥の地は、意外にも福岡。
福岡市博多区にある承天寺の境内奥には「饂飩蕎麦(うどんそば)発祥の地」という碑がある。
承天寺の聖一国師が宋(現代の中国)に渡り、1241年に帰国した際にうどん・そばの製法を持ち帰ったとされている。
聖一国師は宋での修行の合間に、粉挽きの技術を学び、うどんのみならず饅頭の製法も日本に伝えたという。つまり、饅頭発祥の地もまた福岡ということになる。
ちなみに、焼うどん発祥の地は北九州・小倉。
西日本新聞くらしの情報誌 九州・山口麺博本
博多弁で、「かろのうろんや」(角のうどん屋)は有名。
博多はうどん発祥の地
「うどん」として全国的に有名なのは、四国の讃岐うどん。
しかし、うどん発祥の地は、意外にも福岡。
福岡市博多区にある承天寺の境内奥には「饂飩蕎麦(うどんそば)発祥の地」という碑がある。
承天寺の聖一国師が宋(現代の中国)に渡り、1241年に帰国した際にうどん・そばの製法を持ち帰ったとされている。
聖一国師は宋での修行の合間に、粉挽きの技術を学び、うどんのみならず饅頭の製法も日本に伝えたという。つまり、饅頭発祥の地もまた福岡ということになる。
ちなみに、焼うどん発祥の地は北九州・小倉。
西日本新聞くらしの情報誌 九州・山口麺博本
博多弁で、「かろのうろんや」(角のうどん屋)は有名。
2007年09月06日
2007年09月05日
うんざり、朝青龍
毎日新聞夕刊・憂楽帳(短コメント)にまたまた朝青龍のことが。
このコメントは、目にしたすべての朝青龍に関する論の中で、高砂親方(親方の資格まったく無しと、私は他のコメント中で、「朝潮」としか呼んでいませんが)の不甲斐なさを最もきつく糾弾しているコメントでした。
でも私のコメントに較べれば、まだ生ぬるい?
このコメントは、目にしたすべての朝青龍に関する論の中で、高砂親方(親方の資格まったく無しと、私は他のコメント中で、「朝潮」としか呼んでいませんが)の不甲斐なさを最もきつく糾弾しているコメントでした。
でも私のコメントに較べれば、まだ生ぬるい?
2007年09月05日
昭和のジャズ喫茶・リバーサイド
ジャズスポットといえば、昭和3・40年代にはマニアのたまり場として、名門レーベルの名を冠した、「リバーサイド」というジャズ喫茶(その名も懐かしいLPレコードを聴かせるだけのサービス付喫茶店)が、今はなき玉屋デパートの並び2・3軒南にありました。
-博多川河畔に位置するので「リバーサイド」と名付けたのだと思いますが、実は現存-
この「リバーサイド」について、九州大学/文学部/美学出身・直木賞作家、原尞(この文字は皆さんのブラウザで正しく表示されていますか? 寮のウ冠を取ったものですよ)がずいぶん昔、西日本新聞だったかに連載していたエッセイを引っ張り出し下に紹介してみました。
エッセイ
-博多川河畔に位置するので「リバーサイド」と名付けたのだと思いますが、実は現存-
この「リバーサイド」について、九州大学/文学部/美学出身・直木賞作家、原尞(この文字は皆さんのブラウザで正しく表示されていますか? 寮のウ冠を取ったものですよ)がずいぶん昔、西日本新聞だったかに連載していたエッセイを引っ張り出し下に紹介してみました。
エッセイ
2007年09月05日
旧福岡ブルーノート
「ビルボードライブ福岡」として生まれ変わった、「福岡ブルーノート(開業時「ブルーノートフクオカ」)」、2年前、最終営業日の模様を伝えるスクラップがありましたので、ご紹介します。
新聞記事
この時点で既にジャズではありませんでした。
新聞記事
この時点で既にジャズではありませんでした。
2007年09月05日
死体から咲いていた花は?
死体から咲いていた花は、梔子です。
だって、「死人に口なし」って言うでしょう。
出題編=2007.09.03/20:39には、ヒントの梔子の実の写真があり、そこにマウスを会わせると、「梔子」と出ているんですから、この常套句を思いついた方は多いと思います。
今度はクリックすると、花が咲きます。
だって、「死人に口なし」って言うでしょう。
出題編=2007.09.03/20:39には、ヒントの梔子の実の写真があり、そこにマウスを会わせると、「梔子」と出ているんですから、この常套句を思いついた方は多いと思います。
今度はクリックすると、花が咲きます。
2007年09月04日
屋台のパトロールって?
屋台の品格向上、「迷惑、不衛生」の汚名返上のため、屋台が加盟する移動飲食業組合は、自主パトロール組織を結成して巡回活動をスタートする。
という記事が紙上に掲載されました。
もちろん望むべきことではありますが、そもそも屋台は3m×2.5mの屋台の内部においてのみ営業できるはずなんですが、この新聞記事のように大っぴらに外に置いた椅子でお客に供している写真を載せてもいいんでしょうか。
という記事が紙上に掲載されました。
もちろん望むべきことではありますが、そもそも屋台は3m×2.5mの屋台の内部においてのみ営業できるはずなんですが、この新聞記事のように大っぴらに外に置いた椅子でお客に供している写真を載せてもいいんでしょうか。