2007年09月13日
ラグビーはアメフットより面白かったか?
お約束どおり?ラグビーワールドカップ・日本:フィジー戦を見ました。
ゲームの連続性という点で、確実にNFLより(私にとっては)面白く観ることができました。
でも、期待したほど面白くなかった。
世界ランク12位のフィジーに対し、同18位の日本が実力的に劣勢なのは承知していても、試合開始直後からフィジーの不調、日本の好調を盛んに口にする元早稲田大監督・清宮解説者の巧みな誘導で、恥知らずにもフロックの勝利を期待し、それが裏切られての敗戦に消化不良を起こしたからです。
日本人は生来スポーツが嫌いであるという蓮見重彦の論のとおり、私も日本人ですからしかたないのかもしれません。
でも、重富圭以子が書いているようなスポーツの観かたもあるんですよね。
微笑みの貴公子メルマ07年07月
ゲームの連続性という点で、確実にNFLより(私にとっては)面白く観ることができました。
でも、期待したほど面白くなかった。
世界ランク12位のフィジーに対し、同18位の日本が実力的に劣勢なのは承知していても、試合開始直後からフィジーの不調、日本の好調を盛んに口にする元早稲田大監督・清宮解説者の巧みな誘導で、恥知らずにもフロックの勝利を期待し、それが裏切られての敗戦に消化不良を起こしたからです。
日本人は生来スポーツが嫌いであるという蓮見重彦の論のとおり、私も日本人ですからしかたないのかもしれません。
でも、重富圭以子が書いているようなスポーツの観かたもあるんですよね。
微笑みの貴公子メルマ07年07月
2007年09月13日
誤用だ! 御用だ!(2007/09/11)解説編
-- 黒字部分、括弧内の誤りを正す --
「そもそもの発端」は「元旦の夜」のテレビ番組だった。某アナウンサーが、ある地方の元日の儀式を評して「古式豊か」と「聞いた風な」ことをいったのだ。日本語の乱れはここまで進んでいるのかと、思わず「眉をしかめた」。
そもそもの発端、は各家庭ごとと同じく重複語、元旦は元日の朝のこと、古式は床しく、利いた風、眉はひそめる、でなければなりません。
以来、我々は「喧々諤々」の議論を重ね、本書の執筆を開始した。世間は、ちょうどバブル経済が崩壊して、「濡れ手で泡」の「悪どい」方法で金儲けをした連中が次々に夜逃げした頃。執筆を終えたのは、貴花田と宮沢りえの婚約が「明るみになり」「抱擁力」という言葉が週刊誌をにぎわせていた時だった。
喧々は、囂囂、諤々と対になるのは侃々で、侃々諤々、濡れ手で粟のあくどい(悪どいは当て字、あ・くどいと分解される語なので悪は使えない)、明るみに出て、包容力が正しい。
本書には我々の「秀知が集め」られている。日本語の本だからといって、けっして「肩苦しく」はない。「嫌が上にも」好評を博し、「あわや」ベストセラーということになるかもしれない。
衆知を集め、堅苦しくはなく、弥が上にも。
あわやとは、何か望ましくないことが起る寸前の心理状態を表すもので、ここでは相応しくない。
我々はそういう「一抹の望み」を持っている。しかし、夢が実現したからといって「有頂点」になるつもりはない。そのことは「肝に命じて」いる。本書を面白く読んでいただければ「法外の喜び」である。
一縷の望み、有頂天、望外の喜び、肝に銘じる、がそれぞれ正しい用法だそうです。
「そもそもの発端」は「元旦の夜」のテレビ番組だった。某アナウンサーが、ある地方の元日の儀式を評して「古式豊か」と「聞いた風な」ことをいったのだ。日本語の乱れはここまで進んでいるのかと、思わず「眉をしかめた」。
そもそもの発端、は各家庭ごとと同じく重複語、元旦は元日の朝のこと、古式は床しく、利いた風、眉はひそめる、でなければなりません。
以来、我々は「喧々諤々」の議論を重ね、本書の執筆を開始した。世間は、ちょうどバブル経済が崩壊して、「濡れ手で泡」の「悪どい」方法で金儲けをした連中が次々に夜逃げした頃。執筆を終えたのは、貴花田と宮沢りえの婚約が「明るみになり」「抱擁力」という言葉が週刊誌をにぎわせていた時だった。
喧々は、囂囂、諤々と対になるのは侃々で、侃々諤々、濡れ手で粟のあくどい(悪どいは当て字、あ・くどいと分解される語なので悪は使えない)、明るみに出て、包容力が正しい。
本書には我々の「秀知が集め」られている。日本語の本だからといって、けっして「肩苦しく」はない。「嫌が上にも」好評を博し、「あわや」ベストセラーということになるかもしれない。
衆知を集め、堅苦しくはなく、弥が上にも。
あわやとは、何か望ましくないことが起る寸前の心理状態を表すもので、ここでは相応しくない。
我々はそういう「一抹の望み」を持っている。しかし、夢が実現したからといって「有頂点」になるつもりはない。そのことは「肝に命じて」いる。本書を面白く読んでいただければ「法外の喜び」である。
一縷の望み、有頂天、望外の喜び、肝に銘じる、がそれぞれ正しい用法だそうです。