2007年09月04日
屋台のパトロールって?
屋台の品格向上、「迷惑、不衛生」の汚名返上のため、屋台が加盟する移動飲食業組合は、自主パトロール組織を結成して巡回活動をスタートする。
という記事が紙上に掲載されました。
もちろん望むべきことではありますが、そもそも屋台は3m×2.5mの屋台の内部においてのみ営業できるはずなんですが、この新聞記事のように大っぴらに外に置いた椅子でお客に供している写真を載せてもいいんでしょうか。
という記事が紙上に掲載されました。
もちろん望むべきことではありますが、そもそも屋台は3m×2.5mの屋台の内部においてのみ営業できるはずなんですが、この新聞記事のように大っぴらに外に置いた椅子でお客に供している写真を載せてもいいんでしょうか。
2007年09月04日
無節操に堕落したブルーノート
当初地元百貨店・岩田屋が「ブルーノートフクオカ」として開業させたものが、経営の変遷とともに生粋のジャズからかけ離れたミュージシャンが出演するようになり、ブルーノートの名を辱める似非(エセ)ジャズクラブと化していましたが、今回は恥も外聞もなく開き直って、全ジャンルを網羅する「ビルボード」に変っちゃいました。
終戦後、洋楽に飢えていた時代、極東放送(FEN=Far East Network)にラジオのチューナーを廻し、流れるビルボードのトップ10だったか20だったかを楽しんだ若い頃もありましたが、今では、「ハードバップ」以外はジャズ、果ては音楽じゃないというアブノーマルな身となっては、このライブハウスのリニューアルも、「ふ~ん」でしかありません。
終戦後、洋楽に飢えていた時代、極東放送(FEN=Far East Network)にラジオのチューナーを廻し、流れるビルボードのトップ10だったか20だったかを楽しんだ若い頃もありましたが、今では、「ハードバップ」以外はジャズ、果ては音楽じゃないというアブノーマルな身となっては、このライブハウスのリニューアルも、「ふ~ん」でしかありません。
2007年09月04日
コナン君
ずいぶん前の西日本新聞・紅皿に掲載され、ほのぼの感横溢の文が残っていたので下に紹介してみます。
彼との出会い
3年前のこの季節。仕事を早く切上げて、近くの山に向かった。ちょうど、ふもとの住宅街に差しかかった時、ランドセルをしょった男の子が「こんにちは」とあいさつした。あいさつを返すと、「朝晩しのぎやすくなりましたね」という。驚いた。なんて大人びた言葉遣いか。まだ八歳ぐらいだったろう。すぐ分かれ道で別れた。
穏やかな坂道を登っていると、さっきの子が路地からニコッと顔を出した。私に付き合ってくれるという。眼鏡を掛けた顔は「コナン」君に似てる。「僕はYと言います」「君は礼儀正しいね。勉強好き?」「はじめは好きだったけど、もう飽きました」「あれれ、私の息子も同じことを言ってたぞ」。話すうちにだんだん楽しくなった。
彼は山の話をしてくれた。家族で熊本の山に登ったときはどしゃぶりになって、「地獄でした」という。私が今、登ろうとしている山は、「朝飯前です」と胸を張る。そして、「僕の家でお茶でも飲んで行きませんか?」ときたので、びっくりするやら、うれしいやら。断ったが、足取りは軽い。彼の優しい心遣いが私の心を躍らせた。愛情豊かな家庭ではぐくまれているんだろうな。
彼との出会い
3年前のこの季節。仕事を早く切上げて、近くの山に向かった。ちょうど、ふもとの住宅街に差しかかった時、ランドセルをしょった男の子が「こんにちは」とあいさつした。あいさつを返すと、「朝晩しのぎやすくなりましたね」という。驚いた。なんて大人びた言葉遣いか。まだ八歳ぐらいだったろう。すぐ分かれ道で別れた。
穏やかな坂道を登っていると、さっきの子が路地からニコッと顔を出した。私に付き合ってくれるという。眼鏡を掛けた顔は「コナン」君に似てる。「僕はYと言います」「君は礼儀正しいね。勉強好き?」「はじめは好きだったけど、もう飽きました」「あれれ、私の息子も同じことを言ってたぞ」。話すうちにだんだん楽しくなった。
彼は山の話をしてくれた。家族で熊本の山に登ったときはどしゃぶりになって、「地獄でした」という。私が今、登ろうとしている山は、「朝飯前です」と胸を張る。そして、「僕の家でお茶でも飲んで行きませんか?」ときたので、びっくりするやら、うれしいやら。断ったが、足取りは軽い。彼の優しい心遣いが私の心を躍らせた。愛情豊かな家庭ではぐくまれているんだろうな。
(自営業・56歳=福岡市早良区)